この日、僕は町外れにある先輩宅で食事をしていた。
ハヤシライスを食っていた。(前作参照)
満たされる心とお腹。
あまりの充実した時間に、思わず時の流れを忘れる。
気づけばもう18時。
僕は18時40分の電車で帰ることになっている。
急がなければ。
先輩宅から駅までかなりの距離があったため、バスを利用することになった。
フィンランドバスデビュー戦である。
先輩に促されるままに、スマホで切符を買い、
足早にバス停へ向かい、
お礼を言う暇もなくバスに乗り込む。
フィンランドはバスの中も相変わらずの沈黙。
「想定内。こんなことだと思っていたよ。」
フィンランド電車事件を経て、沈黙文化に適応していた僕は焦りなんか感じない。
フィンランドの公共交通機関は“沈黙”が大原則なのである。
余裕の表情でどっかりと席に座り、現地人ぶる。
「順調、順調。」
異変を感じたのは乗車してしばらく経ってからのこと。
乗っていて気づいたことが二つ。
一つ目、
『運転手が一言も喋らない』
日本なら「次、〜へ止まります」と、運転手からの案内が入るものだが、
フィンランドではそれがない。つまり今どこを走っているのか教えてくれない。
二つ目、
『この国では“決まった停車場”という概念が存在しない。』
乗客が目の前の“STOPボタン”を押したタイミングで運転手が止まる。
バスのルート内なら好きなところで降りられる原理だ。
僕はここで自分の置かれた状況のヤバさに気が付く。
僕はこのバスのルートを知らない。
そして駅がどこにあるかを知らない。
運転手は何も教えてくれない。
つまり、どのタイミングでボタンを押せばいいのか見当もつかない。
「先輩このバスに乗れっていっていたけど、
終点まで乗っていれば駅に着くのかな?」
「いや、そんな保証はないよな、、、、」
頭の中が物凄い勢いで不安に侵食される。
数分前まで余裕の表情でYouTubeを見ていた僕、
パニックに陥った間抜けな日本人の顔が、窓ガラスに映る。
僕が混乱している間にも、
他の乗客はSTOPボタンを押し、各々の好きなスポットで次々降車していく。
焦る、焦る。
しばらく焦って閃いた。
「そうだ僕にはGoogle Mapがある」
現在地と目的地がわからないからこそのパニックであり、
Googleは一瞬でその問題を解決してくれる。
文明の利器に万歳。
「ふむふむ600m先を左折したら駅か。」
「600m先左折です、、550m先左折です、、500m先左折です、、、」
リアルタイム実況はいい。
心にも自然と余裕が生まれる。
駅まで残り300mとなったとき、バスが唐突に、“右折”し始める。
「え?」
『600m直進、からの左折』
この最短ルートしか思い描いていなかった僕に、
急な右折は不意打ちだった。
状況が飲み込めない。
僕は再びパニックの波に飲まれる。
思考がしばらく停止する。
「ここで降りるべき?」「いや待っていれば、駅につくんじゃない?」
二つの考えの間で揺れ動く。
その間も、バスは容赦無く動き続ける。
駅からどんどん遠ざかる。
バスと駅は反発しあっているかのように、遠くへ遠くへ離れていく。
一時期、駅まで300mちょっとだったのに、、、、
駅から600m、、、700m、、、800m、、、
「今ここで押すべきか、粘るべきか、、、、」
一人チキチキレースが始まる。
(押せ押せボタンを押しちまえ!)
(押すなよ、絶対押すなよ!)相反する二つの声。


どっちだ、どっちの声を聞くのが正解なんだ?
駅からの距離が1kmになったとき、脳裏に最悪のシナリオが描かれ始める。
「バスはこのまま駅に行かない→僕は18:40の電車に乗れない
→次の電車を待たないといけない(フィンランドの電車間隔は1時間置き)」
結局、チキった僕は、駅から1.5kmの地点でSTOPボタンを押す。
“粘ったあげく、遠くで降りる”という最悪の展開だ。
時計は既に18時25分を回っている。
普通に歩いたら間に合わない。
僕はバスを降りるなり、脇目も振らず全力疾走を始めた。
息が切れる。
腹が重い。
食い意地を張ったばかりに、膨れ上がった胃袋。
キリキリと痛む横腹。
めちゃくちゃ見てくる街中の人の痛い視線。
気にしていられない。
死に物狂いで走る。
18:37駅到着。出発3分前。
間一髪で電車に間に合う。
電車の中でもしばらく「ゼェハァ、ゼェハァ」過呼吸気味の僕。
ようやく呼吸も落ち着き、SNSの通知に気づく。
今日ごちそうになった先輩からだった。
18:27「ごめん、言い忘れていたけど、バス駅前まで連れて行ってくれるよ~♪」
前作、「先輩宅で食事編」はこちらから↓
「初めてフィンランドで“沈黙”の洗礼を浴びた話」はこちらから↓
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