ライ麦パン ボイコット運動

エッセイ
fresh rye bread on wooden cutting board

僕の「ライ麦パン」に対する偏見はひどいものであった。

●ライ麦パンは「おしゃれマダムの食べ物」である
●味は二の次で「美は食事から」をモットーにする人に受けがいい健康食品
●お目にかかるとすれば、「天然酵母」を売りにするハード系ばかり取り揃えているパン屋さん

そんな歪みまくった偏見。

ライ麦パンを食すオシャレマダム(偏見)

そうそう、それから「ライ麦」を語る上で外せないのは、小説「ライ麦畑で捕まえて」

タイトル認知率は90%を超えそうだが、実際に読んだことがある人は5%を切るだろう。

ライ麦畑で「キャッキャ」言いながら追いかけっこをする少年少女のストーリーを想像していた若かりし日の僕。大学で初めてストーリーを知ったとき、あまりの裏っぎりっぷりに白目をむいた記憶がある。

つまり、何が言いたいか、
僕は「ライ麦」に対してあまりに無知だった。
味も、価格も、ストーリーも何一つ知らなかった。

でもそれでいいと信じていた。
だって、一生縁のない世界で生きていくと思っていたから。

しかし、その予想は裏切られる。
僕はフィンランド1食目でライ麦パンとの「初めまして」を果たす。

フィンランドとライ麦パンは不可分一体の関係性。
日本人にとって米、イタリア人にとってパスタ、フランス人にとってのクロワッサンといったところか。

こちらに来てから、ライ麦パンを見ない日は1日たりともなかった。
最初は目新しくて、パクパク食べていた僕。

しかし、毎日顔を合わせていると、慣れ、飽き、だんだん嫌気が差してくる。それは子どもが巣立ったあと、旦那の顔を見たくなくなる妻の気持ちに似ているのかもしれない。(と若造が申しております)

ある日のこと、僕は仕事でうまくいかず憔悴しきっていた。

「あぁ、自分はなんてみじめで、だめなやつだ。」

ヒステリック気味の僕。
晩ごはんの食卓には相変わらずのライ麦パン。

パサパサ食感と、独特の酸味が、
僕の「みじめな気持ち」をムクムクと膨らませる。

落ち込んだ日くらいお米が食べたかった。
僕もチヒロのように、泣きながらハクのおむすびにがっつきたかった。

しかし、あるのはライ麦。
彼にがっつこうものならば、喉に詰まって窒息死不可避

僕はまるで自分が悲劇の主人公のような錯覚に陥る。

その一件から「ライ麦パンの顔なんて二度と見たくない
そう思うようになった。

それからしばらく「ライ麦パンボイコット運動」を決行。

主食がなくなるのは痛いが、ライ麦パンを食べて悲しい思いをするのはもっと心が痛かった。

数日後、僕はフィンランド人の友達とランチへ。
日本食がいかに恋しいか、米の存在がいかに偉大か、熱弁を振るう。

彼はじっと話を聞くと、「わかるよ、俺もそうだったから。」ポツリと一言。
実はこの友人、アジアに1年間滞在をしていたことがある。

彼は当時を回想し、語り始める。

「来る日も来る日も、米、、、、慣れない箸、つまめないご飯、満たされない腹。

ふわふわのパンは、母国のものと違い過ぎて、逆に悲しみを増大させた。
僕は「ライ麦パン」を求めて歩き回ったけど、どこにもなかった。

そのとき、、、そのとき、僕の手が震えたんだ。それはライ麦パンの禁断症状だった。

彼は、悲痛な表情を浮かべる。

僕はその話を聞いて、不覚にも吹き出してしまった。
「あぁ、彼も自分と同じだったのだな」って。

僕は今、米に恋し、
彼は昔、ライ麦パンに恋していた。

結局みんな生まれ故郷の飯が好きなんだ。

その一件があってから、「ライ麦ボイコット運動」解除。
僕は再びライ麦パンを食べるようになった。

相変わらず、味は好かない。
でも、彼が禁断症状を起こすほど愛してやまないこいつを、僕も少しだけ、好きになってみたかった。

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