フィンランドには、「無印良品」が1店舗だけ存在する。
「北欧最強のコングロマリット:IKEA」がフィンランドを牛耳っている中、孤軍奮闘、1人負けじと聳え立つ「無印良品」にはもはや貫禄すら漂っている。
日本食が恋しくなると、僕は決まって無印にいく。お目当ては併設されたMUJIカフェ。
雰囲気良好、味抜群、品数豊富とあっちゃ、行かない理由がない。
1食2,000円近くするのはご愛嬌。
「IKEAに負けるなよ、見せろ大和魂」そんなことを考えながら、半分寄付するつもりで、無印に課金するのであった。
その日、日本エキスが枯渇していた僕は、いつものごとく無印まで足を運ぶ。注文したのはトンカツ定食。久しく口にしていない揚げ物。

分厚めカット、こんがりあがった茶色の衣に、同化するソース。
なんだか神々しさすら感じる。
店内に鳴り響く油の音。湧き上がるしみじみとした感動。
今の気分、げに、揚げ-もののあはれ、である。
と、平安貴族の気持ちで、トンカツ定食を堪能していた訳であったが、半分ほど食べ終えたとき、ふたつ隣の席にペアのお客さんが来た。
1人は、金髪、ちょび髭、ギタリスト風のフィンランド人兄ちゃん。
もう1人は、風格漂うアジアンマダム。
その時は、不思議な組み合わせだな〜くらいにしか思っていなかったのだが、数分後、
「お前、まじ詰んでるわ」
横からドスの効いた声が聞こえてくる。しかも日本語で。
どうやら、アジアンマダムが発したらしい。
おぉ、マダム、日本人だったのか。
いやいやそんなことはさておき、「お前、まじ詰んでるわ」だって?
その大暴言、同じ日本人として無視できない。
相手が日本語を知らないのをいいことに、真正面から罵倒しているのではないか? ーそんな懸念が頭をよぎる。
たまたま居合わせた日本人代表、ここで、正義に目覚める。
「人のことを詰んでるって言う方が詰んでいるんだよ〜」
小学生お得意の「バカっていう方がバカ理論」で反論してやろう。
そう意気込んで、勢いよくイスから起立。
ギロリ。マダムと目が合う。
「あ、どうも」ペコリと礼。
怖い。やっぱり、もう少し様子を見よう…着席。
すると今度は、フィンランド人の彼が「オマエ, マジ 詰んでるわ〜」カタコトの暴言を吐く。
「え?」
唐突に横で始まった罵倒のバトル。
僕はどうすればいい?レフェリーとしてストップをかけるのが正解なのか?
その後、一層真剣に聞き耳を立てていると「ひらがな」「カタカナ」という言葉が飛び交っていることに気づく。
「尊敬語」や「謙譲語」の話になったとき、僕はいよいよ確信する。
これは罵倒試合(し合い)じゃない、
クセの強めな日本語レッスンだ!!
そう考えると、全て辻褄が合うではないか。
「お前、まじ詰んでるわ〜」は罵るためでなく、日本人と戯れあうための便利フレーズとして教えていた!
うん、それなら納得がいく!
納得が……いく?うーん……
マダムよ、あなたは外国人相手に何を教えているのだ?
レッスンは、雑談パートが終わり、メインの「自己紹介パート」へ。
フィンランド人の兄貴が、練習してきた日本語を披露する。
「ワタシは兄が2人と、姉が1人、オトゥトが1人イマス。」ーおぉ、大家族。
たどたどしくも、一生懸命発音する彼を応援せずにはいられない。頑張れ、頑張れ!!
「ワタシは15歳デス」ーいやいや、ダウト!!どうみても君、15の面構えじゃない。30代の深みがある。
「ワタシは独り身デス」ーそりゃそうでしょうよ。もし君が本当に15歳だと言うのなら。
「ワタシの趣味はギターを弾くことデス」ーそりゃそうでしょうよ。その風貌なら。
「ワタシの両親は3回、離婚してイマス」ー急にぶち込む複雑な家庭事情。初対面で言われても反応に困るやつ。
応援とツッコミを繰り返すうち、気づけば、掴まれていたハート。一言一句聞き逃したくない、そう思うほどに、惹き込まれていた。なんとまぁ、素晴らしい自己紹介ではないか!!
しかし、マダムは浮かない顔。どうやら、その“ありきたりさ”に納得がいかないらしい。
もっとインパクトがほしい、と要望を出している。なかなかスパルタ指導である。
2人でああでもない、こうでもない、と意見を交わす。
数分間の魔改造を経て、完成。新・自己紹介。それがこちら。
「自己紹介シマス。僕は、フィンランド在住、オトコ。今、納豆が食べたいデス。」
「!!!」
強い!
この自己紹介、聞き手の脳裏に粘りつくこと納豆の如し。
短いがゆえに際立つ。不要情報を切り捨て続けた先に、マダムの言う「インパクト」は存在していたのである。
名前より、年齢より、「納豆が食べたい!」その一点。それが何より大事なのだ。
自己紹介など、もういい。納豆を食いなさい。僕がスーパーの納豆全部買い占めて、食べさせてあげるからね。彼を納豆で甘やかしてあげたい、そんな気分になった。
マダムも、うなずき、納得の表情。
納豆で納得ってか?
納豆で弾みのついたレッスンはまだまだ続く。
お次は、与えられたキーワードで文章を作る「自由作文」の練習。
マダムの提示したキーワード、「鬼」
フィンランド人兄貴による「鬼の自由形メドレー」開幕。
「オニ…」
彼は悩んだ様子を見せながらも、ポツリポツリと言葉を紡ぐ。
「鬼とは…架空の生物のコト」ーほうほう?いいね。
「鬼の…首をトル。」ー桃太郎か。
「トムが鬼の首をとる。」ーおお、トムが桃太郎か。
「トムはサムライです。」ーあれ、キーワードの鬼はどこへ? 鬼は外。トムが内。
「トムはクビになった。」ートム、突然の解雇。
「トムは首を吊った」ーさよなら…トム。
マダムが「よくできました」と拍手を送る。
なんなんだ、この悲しすぎる「鬼とトムの物語」は。
いや、それより何者なんだ、この2人組は。
僕は一体何を見せられているのだ。
一つ席を挟んだその先で、繰り広げられるWボケ。
ツッコミ不在のボケマシンガン。
その勢いは止まることを知らず…
もう食事どころじゃない。
僕にはこのレッスンの行く末を見届ける義務がある。
「自由作文」の後は、「単語」のお勉強へ。
マダムが発音した単語を、彼がリピートする。
果たして、どんな単語を勉強するのだろうか。
先行、マダム。
「イタコ」「マダコ」「サダコ」
表情を変えずに、流れるように3単語を言い切る。まさかの「3タコ」押韻責め。さてはマダムラッパーか!?
戸惑いながら、彼も繰り返す。
「イタコ…マダコ、、、サダコ…?」
「もっとテンポ良くいこう」
彼女はパン、パン、パン、と三拍を刻む。
「イタコ、マダコ、サダコ♪」見事な手本を見せる。
それに合わせて、彼も
「イタコ、マダコ、サダコ♫」
淀みなくビートを刻む。
2人ともなんだか楽しげだ。
一方の僕は、完全に置いてけぼりである。
彼らが何をしているのか、頭の整理が追いつかない。
イタコ? イタコってシャーマニズムの?
マダコは真蛸?オクトパスでおっけい?
サダコはJAPANESEお化けだよね?
その間も、彼らは一定のリズムでビートを刻む。
「イタコ、マダコ、サダコ♫」「イタコ、マダコ、サダコ♪」
楽しそうでなにより。
それにしても…である。
人様の日本語レッスンに口出しするつもりはないが、このワードチョイスはツッコミどころ満載。4年に1度使うかどうかすら怪しい、スーパーモブの日本語たち。
「イタコ、マダコ、サダコ。」

将来役立つかは知らないが、外国人が急に「イタコ」について語り始めたら、度肝を抜かれること間違いなしである。
ここら辺で、「さすがに話を盛っているんじゃないの?」という読者の声が聞こえそうなため、念のため断っておくが、これは神に誓って実話である。貞子に誓ったっていい。
僕の横で繰り広げられしはショートコント「日本語レッスン」
事実は漫才より奇なり…
その後も、2人はうんたらかんたら話していたが、僕らの間にやってきた新規4名によってさえぎられ、レッスンからはじき飛ばされてしまった。
本当に悲しかった。そして、僕の漫才鑑賞を邪魔する隣の客が恨めしくて仕方がなかった。気分はもう、貞子だった。
これ以上、長居しても仕方がない。諦めた僕は、皿に残ったトンカツを噛み締める。頭の中は「イタコ」と「マダコ」とそれから「サダコ」で飽和していた。
なんなら、トンカツよりマダコの唐揚げが食べたい、そう思うほどに、脳内は3タコに侵食されていた。
無表情で定食を平らげる。ソースの塩辛さが口に残る。
店を去ろうと席を立ち、2人の横を通り過ぎんとす…
まさにそのときだった。
「◎$♪×△¥●&?#$!…絞首刑」
ボソリと声が聞こえる。
はっきりとは聞こえなかったが、彼は確かに呟いた。「絞首刑」と。
いやいや聞き間違えだろう、そうは思いながらも、確証がない。携帯をいじるふりをして、彼の後ろで立ち止まる。
「オマエ、マジ詰んでるわ〜、絞首刑!」
彼の口から発せられたのは、なんとも無慈悲な絞首刑執行命令。
僕は、異国の地フィンランドの無印良品で、暴君誕生の瞬間を目撃した。
それは、ネロも青ざめる暴君ぶりであった。
帰宅してからも、ずっと疑問が絶えない。
「彼はなぜそれほどまでに、納豆が食べたかったのか」
「イタコとマダコとサダコは、日本語レッスンとして妥当なワード選定だったのか。」
「彼はいつ、誰に向かって、絞首刑を執行するつもりなのか。」
床に就いた今だって、気になって寝れやしない。
早く、寝ろ。
どこかで、そんな声が聞こえた。
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