フィンランドでは夏休み中「コテージ」に長期滞在する文化がある。
都会の喧騒から逃れ、森と湖に囲まれたセカンドハウスでまったりリラックス…それがフィンランド流、夏の過ごし方なのだ。
運よく、僕にも「サマーコテージ」チャンスが巡ってきた。
ホストマザーとファザー、僕の3人で彼らの所有するコテージへ行くことが決定したのである。
車で3時間北上したのち、ボートに乗り換える。
何でも、コテージは孤島にあり、湖を渡る必要があるとか。
無人島にでも向かう心持ちがして、胸が高鳴る。
Honda製のモーターが騒がしく音を立て、水をかく。
ボートがスルスルと前進する。
小さいけれど、なかなか馬力があるぜ、このモーター。
8000km近く離れた異国の地フィンランドで、Hondaが活躍していることに、ひっそりと喜びを感じる。
しばらくして、モーターの音が止む。
サマーコテージ到着。
目に飛び込んできたのは、丸太で作られた素朴な一軒家。
テラスあり、BBQ台あり、しかもかわいいログハウス…気分はムクムクと上昇曲線を描く。
最高の5日間になる。
その時、僕は確信した。

サマーコテージでの生活は、それはそれは素晴らしいものであった。
薪で温めたサウナでじわっと汗をかいたら、そのまま素っ裸で外を走り、湖へドボン。のびのびと全裸遊泳を謳歌する。
“開放感”
この一言に尽きる。人目を気にせず、心も身体も素っ裸になれたのなんていつぶりだろうか。
一通り「サウナ→湖→サウナ→湖」の寒暖ループを楽しんだ後は、ビール片手にホストファミリーと談笑。ホストファザーが焼いてくれたマッカラ(フィンランドのソーセージ)を口いっぱいに頬張る。グリルしたソーセージは香ばしくジューシー。弾けた肉汁でTシャツを汚したのはここだけの秘密。
最後はほろ酔い状態で、湖を見ながらたそがれる。
完璧な初日だった。これこそ僕の思い描いていたサマーコテージライフだ!
幸せな気持ちで24:00、眠りの世界へ、さぁ行くぞ!
バズ・ライトイヤー気分で床に就く。
「ぷ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
その時だった。
寝ようと目を閉じたその時、耳元で聞き慣れたあいつの声がする。
実に不快な、安眠の敵No.1。
ペチリ。
自分のほっぺをビンタする。電気をつける。手のひらには、潰れたアイツと、紅に染まった手。
“うげ、こいつ、血吸ってやがる。”
平和なバズ・ライトイヤー気分一転、
Buzz→ライト→嫌ぁぁぁぁぁ…
蚊って、本当に身勝手な生き物だ。
安眠妨害罪で逮捕されてもおかしくないレベルの悪党だと思う。
「勘弁してくれよ」
気を取り直して再入眠を試みる……も
「ぶ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
今度は1オクターブ低い、不快音が耳元で鳴り響く。
一体何匹いるんだよ!
よくよく耳を澄ませば、部屋の中からけたたましい蚊の大合唱がきこえてくる。少なく見積もっても、ソプラノ、アルト、テノール、バス、4パートはいる。
いや、もしかすると、メゾンソプラノとバリトンの担当もいるかもしれない(知らん、知らん。)
実に複雑で、厚みのある歌唱(蚊唱)
しかし、練習が足りなかったのか、一切のハモリなし。
彼らが発するは不協和音。
「僕は嫌だ!!!!」
思わず叫びそうになる。
昔なにかのテレビ番組で見た。
蚊が狙いやすいのは
・風呂上がりの人
・運動した人
・アルコール飲料を飲んだ人
…ってあれ?待てよ?
サウナに入って、水泳して、ビールを飲んだな、自分。
風呂・運動・酒、全部該当。
こんな3要素全て兼ね備えた人材なんて、蚊にとって魅力的すぎる
だって、人間で例えるなら、「美人」で「頭が良くて」「性格が良い」みたいなものである。
狙わないほうがおかしい。それは血だって吸いたくなるよ。わかる、わかる。
しかし、黙って献血してやるほど、僕はお人好しでない。
血を吸いたい君と、吸われたくない僕のニーズは平行線。
僕は布団にくるまり、完全防備体制をとる。

僕「ははは、布団一体化フォルムをとった僕に、お前らの攻撃などきかん!!」
蚊「ぷ〜〜〜〜〜ン(くそう、手も足もでないぜ。)」
この「布団戦法」最初こそ良かったものの、何せ、真夏。段々と、布団の中の暑苦しさに、拷問のような苦しみを覚え始める。身体から汗が湧き出る。
ちなみに蚊さんは汗の臭いフェチ。
あつさに耐えかねて、布団を剥ぎ取った瞬間、臭いに吸い寄せられた彼らが、「もう好き」っとばかりに、吸血のお出迎え。
布団にくるまる、剥ぎ取る、刺される、またくるまるの無限ループ。
防戦一報、我慢の時が続く。
健闘したものの、やはり戦況は、蚊の陣営が圧倒的優勢。
奴らは数少ない吸血チャンスを確実にものにする。
気づけば、身体中ボコボコに刺されていた。
このように、蚊と格闘、通称:蚊苦闘しているうちに夜明けを迎える。
僕は、一睡もできなかった。
“夜更蚊し”である。
AM 5:00
睡眠不足によるイライラが極限まで達し、その日僕は初めて守りから攻めに転じた。蚊の大量虐殺計画を画策したのである。
調べたところ、蚊は強い光に誘き寄せられるらしい。
スマホのライトをつけて、近づいてきた“おば蚊”を叩く作戦だ。
お、早速きたぞ1号目、、、、パシっ!!討伐完了。
あら、2匹目、、、、パシっ!!
3匹目、、、、4匹目、、、
14匹目!!?、、、、えぇ?、、
20匹を超えたあたりでカウントするのをやめた。
え、もぐら叩きですか?無尽蔵に湧いてくる蚊に思わず発狂しかける。
結局その日、誇張抜きで50匹近くの蚊を成敗したように思う。
ほとんど起きていたにもかかわらず、僕の体は吸血痕だらけ。
サマーコテージにはあと4日間滞在予定。このまま何も対策せずに過ごしたら、帰る日には、身体ボコボコのモンスターになる未来が見えていた。
なんとかしなくては。
AM 7:00
寝不足のぎらついた目で、同じくぎらついた目のホストマザー、ホストファザーと“緊急蚊異議”を始める。
最初のトピックは、「昨夜何匹蚊を成敗したか」というものであった。
僕は意気揚々と語る。
「少なく見積もっても50は退治したね。」
「わしもじゃ。70は殺ったな」ファザーの鼻の穴がいつもの2倍に膨らむ。
「私は30。あなた方には及ばないわね。」恥ずかしそうにマザーが言う。
え、単純計算で50+70+30=150匹。リーチできていない、“ポテンシャル蚊スタマー”がいることを考えると300匹はいそうだ。
「僕、ここじゃ生きられないかもしれない」そんな弱音が口をつく。
すると、マザーから衝撃の事実が告げられた。
「何言っているのよ。こんなのまだマシな方よ。去年なんてこの5倍はいたからね」
5倍…ですか…
にわかには信じ難い。これの5倍いたら一晩で全身の血を吸い取られてミイラになりまっせ?

僕らは蚊取り線香、蚊の嫌いなハーブの匂い、色々試してみた。なんたって死活問題だったから。
しかし効果は見られず。相変わらず、ボコボコに打ちまかされた。憎しみが募る。
ただこの日、朗報もあった。
それはメンタル面の変化。
睡眠欲が最高潮に達していた僕にとって、今さら蚊など取るに足らない存在。羽音ごときで一切動じなくなったのである。
「刺したいなら刺せよ。血なんかくれてやる。」
腹も足も腕も顔も、全て無防備でさらけ出す。もう、寝れればどうでもよかった。
するとあら不思議。前日より明らかに刺された跡が少ないのである。
もしかすると、蚊は、いやだと言われたら刺したくなって、いいよと言われたら冷めてしまう、ツンデレ体質なのかもしれない。
ちょっとはかわいいとこあるじゃん。

僕たちは、ついに起死回生の一手を見つける。
それは「蚊帳」
自分達のベッドを、細かい網目のネットですっぽり囲み、物理的に侵入を阻むというもの。

これが大成功だった。
蚊帳の前に無力な蚊。
これぞ蚊帳の外。
僕は網越しに、血を吸いたそうにしている蚊を見ながら、優越感に浸るのであった。
「はは、刺せるものなら刺してみるがいい。馬〜鹿、馬〜蚊」
平和的解決
実に“ス蚊ッとした”(もう蚊はええて。)

この日、事件が起こる。
あれほど溢れかえっていた蚊が、突然、一匹残らず家から消えたのだ!!
これにはみんなびっくり仰天。
まさに、「神隠し」と表すにふさわしい。時間差で僕の願いが通じたのだろうか。
だから今宵は、蚊のいない部屋で、蚊帳の中、一人眠る。
昨晩まで聞こえていた大合唱は聞こえず、
自分を求めてくれる存在も現れず。
“あぁ、僕は失ってしまったんだな。”
胸の中にポツリと浮かんだのは、
意外にも「寂しさ」
虫刺されの痒みだけが、僕とあいつの過ごした証。
もう僕らを繋いでくれるものはそれしかないんだ…
それしか、ないんだ。

ツンデレは、僕でした。
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