その日、待ち合わせのためヘルシンキ中央駅に立っていた。集合時間は11時30分、現在は11時ジャスト。しまった少し早く着きすぎたようだ。
座る場所もなかったので、駅構内ジュース屋、横の壁にもたれ掛かりながら、スマホを片手に時間を潰す。
ジュース屋の営業の邪魔だって?
大丈夫、このジュース屋、「客がいない」「売れる気配がない」さらには「店主のやる気もない」(三重苦ジュース販売店)
ブラッドオレンジ片手に、思い詰めた顔をしている店主を見ていると、なんだか気の毒に思えてきた。薄くなった髪の毛に哀愁が漂う。
そういえば、僕、幼稚園の文集に「将来の夢:ジュース屋さん」とデカデカと書いた記憶がある。よかった、ジュース屋にならなくて。心の底から安堵する。
一瞬、同情心から、「ジュース買ってあげようかな」とも思ったが、すぐに考えを改める。
だって、気温は0℃。
この尋常じゃない寒さの中、ジュースを飲みたいやつなんている?いねぇよなぁ(こら)

しばらくすると、一人のおじさんがツカツカとジュース屋へ歩みを進める。アラブ系の、顔の彫りが深いおじさん。年齢は50くらいか。
「おぉ、ついにお客か?」期待が高まる。
このくそ寒い日にわざわざジュースを買うなんて、
「重度のビタミン欠乏症」か「店主のベストフレンド」どちらかに違いない。
個人的には「ベストフレンド説」を支持、今後の熱い展開に期待したい、、、
なんて考えていた。
しかし、、、どうにも様子がおかしい。
アラブ親父はジュース屋へ一直線、、、
と思いきや、注文口の手前でクルリと90°方向転換、
明らかに僕の方へ向かってきている。
親父は僕の真正面で、ぴたりと立ち止まり、顔を凝視。
「え、、、、誰、、、、?」
噴き出す焦り。
まさか、、、知り合い?
23年間の記憶を探ろうと、“脳内Google”にて「アラブ 親父 知り合い」で searchをするもヒットは0件。あいにくアラビアンな親父の知り合いはいない。
「じゃあ誰?」
ますます、焦る。
親父、見つめなくていいから、何かしゃべってくれ。
願いは通じたのだろうか、親父がようやく口を開く
「Can you speak English?」
警戒気味に「Yes」
すると親父は嬉しそうな顔をして饒舌に話し始める。
ペラペラ、ペラペラようしゃべる。
台本用意しているのかなと疑うレベルで言葉が溢れ出てくる。
早口+訛りで20%くらいしか理解できなかったが要約するとこうだ。
「訳あって、金ないんだけど、貸してくれない?絶対に返すから」
う〜ん、怪しい、怪しすぎる。言われてみれば見た目も怪しい。
変な形のベージュ帽子被っているし、マントで全身を覆っているし、、、
幼少期、母ちゃんに習った。
「絶対金返すから貸してくれは」は9割9分の確率で嘘だと。
僕は興味本位で、なぜ金がないのかを聞いてみた。
親父「casinoですった」
僕「、、、、、カジ、、、ノ、、、」
なんて救いようがないんだ、この親父。
せめて「同情するなら金をくれ」的な“おしんアンサー”を期待していた。「娘の治療費が足りないんだ」とか「病気のおかんにご馳走を食べさせたいんだ」とか。
カジノって、、、馬鹿正直にも程がある。
いくら欲しいか聞いたら「10ユーロ(1450円)」とのこと。
こちとら円安地獄で財政状況が厳しいんじゃ。
「そんなに渡せないよ」と突っぱねると
「じゃあせめて5ユーロ」とまさかのディスカウント戦法開始。
「いや〜5ユーロも持っていないわ(嘘)」
「じゃあ3ユーロでいいよ(偉そうに鼻を膨らませながら)」
「値引きする側」が主導権を握るのが世の常。
親父の巧妙な「ディスカウント戦法」によって、会話中終始、主導権を握られっぱなしだった。
“やばい、このままでは払う羽目になってしまう!”
この負の流れをなんとしてでも断ち切ろうと
「ごめん今、お金持っていないんだわ」と大嘘をついて親父を撃退した。
親父は名残惜しそうに、僕を見つめながら去っていった。
“ふぅ、勝った、、、”
大きなため息を一つ。
周囲を見渡すと、ジュース屋の親父と目が合う。
どうやら僕の戦況を見守ってくれていたようだ。
“親父、俺やったよ”
心の中で報告。
5分後、
スマホと睨めっこしていると、
「Excuse me sir」と見知らぬ紳士の声。
今日はよく話しかけられる日だ、と思って顔をあげると、
そこには、既視感のあるアラブ顔の親父。
「・・・・?・・・・同一人物?」
顔は明らかにカジノ親父なのだが、帽子と服装が先ほどと違う。彼が先ほどの親父かどうか、はかりかねていた。
親父はいう。
「Can you speak English?」
猛烈なデジャブに襲われながらも「Yes」の返事。
すると親父は語り始める。
「電車に乗らなくてはいけないのだけれど、お金がない。貸してくれないだろうか?」
あぁ、やっぱりカジノおじさんか。
服を変え、帽子を変え、声色・喋り方まで紳士風に変えて、
金を恵んでもらおうとする、親父の努力がまぶしい。
その努力、真っ当に金を稼ぐことに発揮すればいいのに。
自分って本当に意地悪だなと思いながらも、僕は問う。
「なんで金ないの?」
「落としたんだ。気づいたらなくなっていた」
ふむ、その回答70点。悪くない。
「0点解答:カジノ」から少しだけマシになっている所に親父の成長を感じる。
僕「いくら貸して欲しいの?」
親父「3ユーロ」
おお、ここにも進歩が。
10ユーロは無理だと判断して最初から3で攻めてきたか。
僕は親父の成長に思わず目を細める。
でも、ダメだよ親父、やっぱりあげられない。ここでもしお金をあげたら、あなたはきっと味を占めるだろう。しまいには、毎日駅に出没する「他力本願・集金おじさん」に成り下がるに違いない。
僕は親父の将来を思うからこそ突き放す。
あぁ、我が子を谷に突き落とす獅子の気持ちってこんな感じか。
悪く思うな親父、くらえ愛のムチ。
僕「ごめん、自分も財布落としたから、お金ないんだ。」
親父「・・・・・・・(無言退出)」
こうして第二戦が閉幕したのだった。
それからまた5分後、、、、
「Excuse me, brother」
聞き馴染みのある声。
おぉ、今度はラッパー風か。
見なくてもわかる。奴だ。奴が来た。
顔を上げると鼻息の荒い親父。
「3度目の正直」にかけてきたらしい。
いや、正しくは「3度目の嘘つき」か。
例のごとく、帽子を変え、服を変え、ラッパーになりきり、サングラスまでかけていやがる。僕は彼のサングラスをかち割りたい衝動を必死に抑える。
クオリティはともかくとして、毎度変装するその努力は認めよう。
だが、、、せめて時間を開けろ。
5分おきに会いに来られたら、流石にこちとら気づく。
それに、駅構内には人がたくさんいるというのに、なぜ僕なのか。他じゃダメなのか。
親父はいう
「Can you speak English?」
「ふっ」
ナチュラルに笑いが込み上げる。
いや、毎回英語話せるか確認してくるのなんなん?
このチェック、もはや僕と親父「二人だけの合(愛)言葉」と化している。
僕たち二人でお笑いでもやっているのだろうか。
確かに、この親父とならM1だって狙える気がする。
そっちがそうくるなら、こっちにだって考えがある。
「私英語わかりません。あなたしつこいよ」
僕は、流暢な日本語で反撃を試みる。
親父はポカンと口を開け、
「その展開は予想していなかった」の表情。
どう誘導しても英語を話してくれないと悟ったのだろう。
彼は白旗をあげ、トボトボと姿を消したのだった。
なんだか、その後ろ姿があまりに不憫で、
「やっぱり3ユーロくらいならあげてもよかったんじゃないか」遅れて後悔の波が押し寄せる。心に残る罪悪感。
そうだ、次、、、、
もし、もう一度めげずに彼がきたら、3ユーロあげよう。
そう決意し、財布から1ユーロコインを3枚を取り出し、ポケットに忍ばせておく。
しかし、待てども、待てども、彼は来ない。
先ほどまであんなに鬱陶しく思っていたのに、
今度は心の底から再会を願う自分がいる。
この早く会いたくてたまらない心情、まるで織姫を待つ彦星。
天の川
金ならここに
アルタイル
来たれば渡さん
ポケットからキュン
結局、彼が僕の前に姿を表すことは2度となかった。
行き場を失った3枚の硬貨がジャラジャラと虚しい音色を奏でる。
会えないとわかると、どっと疲労が押し寄せてきた。
ポケットには3ユーロ
疲労回復にはビタミン
あぁ、そうか。
僕は硬貨を固く握りしめ、沈んだ表情で店主に声をかける。
「すみません、オレンジジュースください」
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