第2章「食糧難」
2022/08
マザーとの初めての食事は「グラタン」だった。
料理が得意でない、と言いながらも、時間をかけて作ってくれたグラタン。その優しさに心まで温まるのを感じたものだ。
僕はニコニコしながら熱々のグラタンを口いっぱいに頬張っていた。
その時はまだ知らなかった。
これが、最後のグラタンになることを。
マザーは日が経つにつれて顕著に料理をしなくなっていった。
きっと彼女の料理熱は全てグラタンに持っていかれたのだろう。
ある晩、食卓テーブルの上に「ライ麦パン」「ハム」「チーズ」の3食材だけが置かれた。



「サンドイッチ・セルフスタイル」である。
味は、良くも悪くも素朴。素材の味。
マザーはこれがうまく機能したことに味を占めた。
何も準備しなくていいサンドイッチのお手軽さ。
その日から、サンドイッチ無限ループ開幕。
朝食 「サンドイッチ」
おやつ「サンドイッチ」
夕食 「サンドイッチ」
どうにもパンはお腹がすいて、力が出ない。
とはいえ、食べるものがそれしかないので、我慢して食べる。
次第に僕の身体の大部分はサンドイッチで構成されるように。
そろそろ、アンパンマンから「サンドイッチマン」として出演オファーが来てもおかしくない。
いや、「ライ麦パンマン」として準主役の座を狙える可能性だって見えてきた。
最初の頃は、サンドイッチだけで物足りず、冷蔵庫の中を物色する日々が続いたが、基本中身はスッカラカン。
「何か入っているのでは」と期待しては開け、裏切られて、の日々を繰り返すうちに、僕は冷蔵庫に対して1mmの希望も持てなくなっていた。
そうさ、冷蔵庫なんて所詮、冷気を撒き散らすだけの「オブジェ」だ!
そう思い込むことに。
2022/10
そんなある日のこと、友人の暮らすホストファミリー宅へ招待された。
家はハエ一匹いないほど手入れされた豪邸で、心なしか、雰囲気も温かい。
夕食の際、彼らの冷蔵庫を拝見する機会があった。
どうせ、ここだって、見せかけの「オブジェ」だろ。
舐めてかかった僕の態度と裏腹に、冷蔵庫の中には所狭しと詰め込まれた無数の食糧たち。

ヨーグルト、ウィンナー、コーラ、アイスクリームまで!
皆、食べて欲しそうにこちらを見つめている。
「すっからかんの冷蔵庫」がフィンランドの標準だと思っていた僕は衝撃を受ける。
「すげー、冷蔵庫に食べ物がたくさん入っている!」
真剣な表情で、とんでもなく間抜けな感想を叫ぶ僕。
「当たり前じゃん」一笑に付す友人。
僕はその発言を聞いて、ブチっと何かが切れるのを感じた。
彼に説教してやりたかった。
「お前はわかっていない、冷蔵庫に食べ物があることの幸せが、、、腹一杯食べられることの幸せが、、、、当たり前じゃないんだぞ、、」
あの頃の「食への感謝ぶり」は、仏さまだって感心してくださるに違いない。
仏さま、もし感心したのであれば、今すぐ僕にコーラとハンバーガーをUberしていただけませんか?あ、あとスタバのフラペチーノも(煩悩の塊)
その一件があってから、僕はうちのオブジェと化した冷蔵庫を見るたび、今までに増して空虚感を覚えるように。
そう、私は悟ったのだ。
「冷蔵庫の豊かさは、心の豊かさに比例する」と。
空っぽなのは、冷蔵庫だけじゃない。僕の心もスカスカさ。
それからしばらく経って、こんな疑問が生まれた。
「マザーは毎食サンドイッチばかりで飽きないのだろうか?
彼女に聞いてみると、ケロッとした顔でこう返される。
「私、基本的に水だけで生きていけるんだよね」
そうか、僕は今、仙人と対峙しているのか。
このマザーとっくに人間を超越し、仙人化してやがる。
いや、いいんだよ。マザーが仙人なのは一向に構わない。
ただし、どうか僕を仙人基準で扱わないでほしい。
僕は米も肉も野菜もデザートも全部食べたい、欲深い人間なんだ。
ああ、仙人と一緒に暮らすのも楽じゃない。
2022/11
僕とサンドイッチの別れは突然やってきた。
ある日を境に、「ハム」と「チーズ」が食卓から姿を消したのである。
これは由々しき問題であった。
野球で例えるならば、チームから「4番バッター」と「エースピッチャー」を失ったに等しい。
残念ながら「ライ麦パン」に4番とエースを努めるだけの大谷翔平的スペックはない。
サンドイッチはいつでも3種で1つだった。
2種失ったとなると、それはもはやサンドイッチでなく、ただのライ麦パンである。
その時、僕の脳裏に 絶望 の2文字が浮かび上がる。
「もうダメかもしれない、、、ミ・アミーゴ」
なぜだろう、思い出した景色は、初日の熱々なグラタン。
目の前に横たわるのは、カピカピのライ麦パン
そのあまりに残酷で鮮明なコントラストが僕の視界をうるませた。
(僕の米エッセイ、ライ麦パンエッセイの裏にはこのような背景が隠れていたのでしたとさ笑)
余談ではあるが、彼女は3匹のウサギを飼っている。
減量中の乙女のように「飢えた腹」、尾崎豊並みに「荒んだ心」
血走った目で食料を探しもとめる僕に、もはや「うさぎかわいい〜💓」とか言っているJK的心の余裕はない。
僕の食事は超質素ライ麦パンなのに、奴らは高級ペットフード。
正直、うさぎに嫉妬している自分がいた。
思考は空腹と共に激化し、次第に
「うさぎ肉って食えたっけ?」
と、うさぎの食肉としての可能性について思いを馳せるようになった。末期である。野蛮、あかん!!
ちなみに万が一、ウサギに手を出そうものならば、血祭りになるのは、僕の方である。
「自分の命より、ウサギの方が大事」と公言するマザー。
前作、「毒蛇救出劇」をご覧になった方ならわかるであろうが、彼女の動物愛は並々ならない。野生動物でさえあの愛情、自分のペットに対しては「聖母マリア様」並みの「無償の愛」を発揮する。
動物が大切で、人間は二の次。
その姿はさながら、極端な動物愛護政策を行った徳川5代将軍綱吉。
そう、この家では「生類憐れみの令」が施行されている
うさぎ>マザー>野生の動物>僕>ハムスター
これがこの家の序列である。(ハムスターのおかげで、カースト最下位回避)
ある意味で、「生類憐みの令」の存在が、うさぎを食べかねない「僕の野生的衝動」を抑えてくれていたと言える。
でもね、同時にこうも思っていたんだ。
ねぇ、マザー、「生類」を憐れむ前に、まず「僕」を憐れんでみてはいかが?
改めて記事を書いていて思ったけれど、自然が好きで、食事は必要なくて、動物を愛しているって、うちのマザー、いよいよ本格的に仙人だ。
あと5年もしたら山籠りを開始すると確信している。
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