タイ料理が食べたい。

エッセイ

「タイ料理が食べたい・・。」

しょーもないダジャレが口をつく。
それは、1ヶ月ぶりに首都「ヘルシンキ」へ向かう電車内でのことだった。

前に座る乗客が、不思議そうに僕の顔を覗き込む。

「は、何を考えているのだ、僕は。ここはフィンランドだぞ。」

シナモンロールにブルーベリーパイ。
トナカイ肉に、ミートボール。

フィンランドでしか味わえないごちそうがある中で、唐突に脳裏に浮かんだ「タイ料理」

明らかに邪道な発言。頭の隅っこへ押しやろうと試みる….
試みるのだが、一度考えてしまったが最後、
脳内では既に、陽気なタイ人が踊りながら、僕を手招きしている。

「タイ料理を食わないか〜?タイ料理は美味しいぞ〜?」

せっかくヘルシンキに行くのだから、フィンランドらしいものを食べるべき。食べるべきなんだけど、

「僕はやっぱりタイ料理を食べたい!!!」

「タイ料理が食べたいよ〜♪タイ料理を食べようよ〜♪」
即興で作られた謎音楽がアジアンチックなメロディーで脳内に響き渡る。
気づけば小さく、鼻歌を口ずさむ自分。

もう、タイへの歩みを止められる者はいなかった。
久しぶりのヘルシンキ旅行だというのに、気分はタイ一色。

フィンランドに来てはや半年、
早い話、僕はフィンランド料理に飽きていた。

・主な味付け塩、胡椒
・調理法は「焼き」or「煮込み」
・基本薄味 & クリーミー

年中を通して変わり映えのない、この国の食卓。

こちらに来てから気づいたのは、
「日本人の食に対する貪欲さ」

僕たちにとって「和食」は数ある選択肢の一つに過ぎなくて、
「毎日和食しか食べない!」という人は逆に珍しいと思う。

「あなた、今年1年、和食しか食べちゃダメだからね」
なんて言われたら、大抵の日本人は発狂するのでなかろうか?

だって、イタリアンなパスタやピザも食べたいし、フレンチも捨て難い。餃子や麻婆豆腐といった中華は食卓に彩りを与えてくれるし、インドカレーには中毒性がある。プルコギを筆頭にした韓国料理も譲れない。たまに食べるパエリアもいいよね。

アジアにヨーロッパ、アメリカ、日本人の味覚はいつでも世界旅行中。

そして何よりすごいのは、別に外食しなくとも、一般家庭で、これら多国籍料理が味わえることである。私たちは家庭で作ってしまうのだ、中華を、イタリアンを、フレンチを。

当たり前のように享受していた「多様で豊かな食卓」
これって案外特別なことだったのだ、と気づいたのはこちらに来てからだった。

フィンランド人は、家庭で基本的にフィンランド料理しか作らない。稀にパスタやピザは食べるものの、結局ヨーロッパの範疇からは抜け出さない。

もちろん街へ出れば、他国の料理が楽しめるのだが、ことフィンランドにおいて、外食は高価なため「希少なイベント」の位置付けである。

やっぱり日本の食文化は特別だ。
日本人としてのDNAが叫んでいた。
「食のダイバーシティ。求む、エストニック!」

電車を降りるや否や、僕の足はタイレストランへ一直線。
デパートの一角にある、異色の雰囲気を放つお店。

時間は12:00
店は大繁盛。

偶然、1席だけ空いていたので、導かれるがままに着席。

メニュー表に目を通す。
「トムヤンクン、ガパオライスに、パッタイ」
う〜ん甘美な響き。タイの料理ってどうしてこうも可愛い響きなんだろう。

味ももちろん好きだけど、それ以前にどうやら僕は「タイ料理 名前フェチ」らしい

しばらく、目移りして決めかねていたのだが、
「カオマンガイ」という文字をみた時、胃袋が「グルルゥゥゥ(=これにしろ)」と雄叫びをあげた。

「タイのチキンライス」と評される「カオマンガイ」
ケチャップでベタベタやるたぐいのチキンライスとは一線を画す。

鶏を炊き、その茹で汁で米を炊き、米にしっとり蒸しあげた肉を乗せる。
鶏で始まり、鶏に終わる、正真正銘の「The鶏料理」

日本の水炊き、韓国のタッカンマリ、タイのカオマンガイ。
シンプルさを突き詰めた鶏料理に”助演”の存在は必要ない。

主演「鶏」
脚本「鶏」
監督「鶏」

アカデミー賞を一匹・・で総なめしそうな勢いである。
鳥肌ものの圧倒的存在感!!(終始、何言ってるかわかんない)

よし、カオマンガイ、君に決めた。

早速、注文をする。
タイ人のウェイターさんは、注文を取ると
「水はそこ、グラスそこ、セルフね。少々待ってて」
早口で言い切り、僕が返事するより先に厨房へと消えていった。

うん、いい。この「おもてなし」の「お」の字もないような、雑な接客がまたアジアを演出する。
今日は、アジアを食いに来たのだ。接客の雰囲気も含めての食事である。

待ち時間、店内をキョロキョロと観察していると、現地人が大半を占めていることに気付く。先ほど、「フィンランド人にとって外食は希少イベントである」と言った。

その貴重な機会に「タイ料理が選ばれた」という事実は同じアジア人として誇らしい。

タイの怪しげな音楽をバックに交わされる、フィンランド語での会話。タイとフィンランド。案外、相性がいいじゃないか。耳が幸せだ。

それから数分もしないうちに、再びウェイターさんが来た。彼女はガシャリと料理を置く。

チキンスープに、カオマンガイ、それから申し訳程度のきゅうり

まずは喉を潤さんと、チキンスープに手を伸ばす。

じっくり煮出されたチキンの旨味と甘み。後味さっぱり、喉越しばっちりで、大鍋ごと一気飲みしたくなる。スープでこの美味しさということは、カオマンガイ本体はどれほどなのだろう?期待値が上がる。

今すぐに、カオマンガイをかきこみたい衝動に駆られるが、まずは気持ちを静めよう、“助演気取り”のきゅうりに目を向ける。

先述した通り、今回の“シンプル鶏合戦”において、助演の存在は不要。とっとと片を付けようではないか。

僕はきゅうりを2枚口へ放り込む。数回咀嚼して、出番終了。
うん、きゅうりは、どこで食っても変わらずきゅうりだ。

そして、いよいよ登場、大看板カオマンガイ。僕の好物、カオマンガイ。

「人生最後の日に何を食べたいか」聞かれたら、きっと答えるだろう、「カオマンガイ」と。

本当かな…..

いや、ごめんやっぱり嘘かもしれない。

でも、それくらいに好きだ。

まずは何もかけず、鶏だけで味わう。

うっすら塩味のついた鶏はふっくら柔らか、というよりほろほろで、こいつ単体で勝負できるほどの見事な完成度。これをつまみにビールで流し込みたい。

ちなみに鶏の上には我が天敵パクチー。
パクチーってカメムシの味がするから苦手だ。(共感してくれる人いません?)

「お前、カメムシ食ったことないだろ」そんなナンセンスなツッコミはお断り。

僕とパクチーの因縁は深く、やつを食べると決まって“ベトナム”を思い出す。(タイじゃないんかい)

大学時代、ベトナムへ1ヶ月ほど滞在していたことがある。
あれは、食事面において、非常にタフな日々だった。

何を食ってもパクチーパクチー。
大丈夫と思って食べた料理の中に、またパクチー。
ベトナムの地にパクチー抜きのを食べ物は存在しないかのように思えた。

「パクチーを拒んで三千里」

ある日、とうとう見つけてしまった。
それは、偶然街頭で見かけたケバブ屋。
トルコ人のお兄さんが経営するキッチンカー。

あの時のケバブは僕のオアシス。
味よし、コスパ良し、パクチーなし。

あまりに気に入ってしまったものだから、
ベトナムで出会う日本人全員にケバブをおすすめしまくる“ケバブの伝道師”と化した。

僕は一体全体、ベトナムで何をやっていたのだろうか笑

おっと、失礼、話がだいぶ脱線してしまった。
つまり、こういうことだ。僕は、
昔、ベトナムでトルコ料理のケバブを食らい、
今、フィンランドでタイ料理のカオマンガイを食らっている。

なんてことはない。「ないものねだり」体質なのだ、昔から。
僕はほぼ変わっていない。

唯一変化したのは、今回パクチーですら愛しく感じられること。
パクチーの「カメムシ味」は、思い出補正が働き「ノスタルジー味」に。
思い出は、カメムシを凌駕する。

ベトナムだか、タイだか知らないが、
店内はもはや、アジアだった。

次に、米と一緒に鶏をパクリ。

「至福。」

鶏出汁で炊かれ、油膜で覆われタイ米は、パラパラさを保ちながらも、パサパサ感はゼロ。チキンとの相性は言わずもがな。額にじんわりと汗をかきながら、僕は、一心不乱に飯をかきこむ。ニンニクの効いたチリソースが勢いに拍車をかける。

食事開始10分もたたずして、完食。
皿の底に敷かれたバナナの葉っぱが、最後までアジアを演出する。

「ご馳走様でした。」
腹も心も、これでもかというほど満たされた僕。

退店後、次第に自分を俯瞰する余裕が生まれる。

北欧「フィンランド」「タイ」料理にがっつく「日本」人(with 「ベトナム」の記憶)

ヘンテコ4カ国首脳会談。

なんだか愉快だ。
口角が自然と上がる。

外は雪。
心は晴れ。

フィンランド生活もちょうど折り返し。
残り6ヶ月。

冷たい風が吹き荒ぶ中、タイの熱気が僕をぬくめる。

「また、頑張るか。」

異国の地で生きる活力を、取り戻した気がした。

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